4月20日(月) 高瀬蔵にて たま♨かふぇ「看取り」を実施しました。

今回は29名の参加で、6グループに分かれて意見交換をしました。以下に皆様の意見を抜粋しました、ご発言と意図が違うなどあるかもしれませんが、悪しからずご容赦ください。

施設看取り、在宅での看取り。何れも利用者に関わるスタッフには怖いという気持ちがある
ホスピスの選択もある。
家族は施設での看取りを希望することが多い気がする。
本人には聞き取り難しく、家族の理解も伝わらないことあり、医師の協力を得たい。
昔は自宅での看取りが多かった。
医師が自宅を病院と見立てるようになった。
看取の時に誰の意見が尊重されるべきか、本人、家族、うまく詰めてく必要。
本人の意思が確認しにくい(認知能力など影響)家族の意見が大きくなるので事前書が必要。
死と考えると暗いが、看取と考えると少しイメージが変わり和らぐ。
「看取り」には看護師の「看」という字が使ってある。ケアでなくキュアを感じる
法事の時に、いい話ができるように看取ろう
在宅看取が増えれば、死が子どもたちにとって身近、尊いものになり、殺人など減るのではないか。
看取に立ち会わせるため学校を休ませるなどの事例もあり。学校教育と別に大切なことと感じた。
看取りたい、看取られたい。それぞれの立場を考える。
施設では経験が蓄積される。初めてと、2回目ではだいぶ違う。
家族のことを考えると、看取られたい方にとってホスピスは大きな存在。本音はどうなのか。
痛みのコントロールで薬剤師役割、医師、看護師、家族、親族、周りの親族、地域の理解も重要。
最後に つらい思いをしたら残念。
本人の意思、しっかり伝えることが大切。日常でも会話を大切にして、良好な関係ができていないと、調整できない。普段から自分の意思を伝えることが重要。
グループで看取りの経験がある人9ない人4名
その人らしい送り方をしたいが、自分でもわからないのに、他人の思いを完全には理解できない。
どんなにがんばっても後悔はある、家族は代わりに考えを出さなくてはいけないが、自分の考えも揺れる
覚悟を決める段階が必要
家族の勇気と覚悟、それをささえる医師、看護師があれば自宅でも看取れるのではないか
自然に逝きたい、トイレでばったり逝きたい人もあり。
息を引き取った時はあっけなかったとの意見もあり
看取る場所、病院、自宅、施設。病院であれば医療に基づき淡々と亡くなる気がする、施設や自宅の方が、その人らしさを出せると感じる。
多職種が連携したが、孤独死。患者のサインに気が付けなかった。もう少し連携がとれればよかった。
今後看取りが増えると思われるが、役割担う人、地域で見守り隊などの活躍が期待される。

ご参加いただいた皆様、貴重なご意見ありがとうございました。またのご来店をお待ちしております。